■特別講演■ | |
菱岡 憲司(山口県立大学) | |
「小津桂窓と西荘文庫」 | |
小津桂窓(おづけいそう,1804〜58)は,江戸時代後期を生きた裕福な松坂商人であり,本居春庭(もとおりはるにわ)に歌と国学を学び,生涯に46点の紀行文と7万首の歌を残した。小津久足(ひさたり)の名であらわした紀行文は,江戸時代後期の代表作とされるほど評価が高い。また,曲亭馬琴の友人としても知られており,『南総里見八犬伝』をはじめとした馬琴作品に対して評答を交し,蔵書の貸借や購入などもおこなっている。後世,小津家からは,映画監督の小津安二郎やシェイクスピア学者の小津次郎が輩出した。 桂窓は西荘文庫と名づけた質量ともに充実した蔵書を成したことでも知られており,旧蔵書には鎌倉時代物語『あさぢが露』『在明の別』やキリシタン版字書『落葉集』などの貴重書も多数含まれる。また,書籍のみではなく,書画の蒐集にも熱心で,所蔵していた円山応挙の書画は350幅を超える。 本講演では,小津桂窓の人物と多様な文事に触れたうえで,西荘文庫の蒐集の実態と蔵書の性格について紹介したい。 |
■個人発表■ | |
■発表1 | 紙谷寛(神戸大学/元大阪府枚方市立図書館) |
「県立図書館代替論:近代日本公共図書館史に果たした山口県立山口図書館の役割」 | |
県庁所在地に県立図書館が設置されている場合,その地に市立図書館が設置されていないことが多いことは早くから指摘されてきた。現在ではすべての県庁所在地に市立図書館が設置されているが,この事実は近代日本の公共図書館の顕著な特徴としてあげられていた。この事実を薬袋秀樹氏は県立図書館による市立図書館代行モデルとしてその県立図書館論で指摘している。しかしそれは戦後直後から「中小レポート」までの限られた時期のことであり,その機能が戦前からのものであることには言及していない。本論ではその時期を日本近代の出発点にまで遡り,我が国の公共図書館史の特徴として論じる。 その実態は戦後の図書館数だけをみても読み取ることができる。今回の発表では,長く代替機能をはたしてきた県立図書館の緩やかな後退と市立図書館の急激な成長に言及し,大会の地である山口県にある県立山口図書館をとりあげ代表的な事例として報告したい。 以上見てきたように本発表の骨子は,県立図書館が果たした代替という機能を戦後だけでなく戦前にまで敷衍することにある。つまり日本の近代図書館史を連続したもの(通史)として見ることにある。そしてそこにもうひとつ研究の意義を付け加えるならば,総体としての日本の公共図書館の関係性を問うことである。分断されているように見える現在の日本の公共図書館を統一する視点を,その関係性を通して提示したい。 今回の発表が拠った主な資料は,戦後直後に日本図書館協会が残した一連の統計書である。その時協会の事務局長を務めた有山ッは,再刊した『日本の公共図書館』の序文で,資料が今後の図書館の発展のために活用されることを切望すると述懐している。彼のその思いを実現するために,戦後図書館史の貴重な資料である統計書のデータを大いに利用した。 | |
■発表2 | 吉田昭子(文化学園大学) |
「東京市立図書館と図書館構想の変遷」 | |
2024年5月に『東京市立図書館物語:戦前の市立図書館網計画をめぐる夢と現実』を上梓した。東京市立図書館は,現在の東京都立図書館や都心部にある区立図書館の前身にあたる図書館である。本発表では,同書で論じたもののうち,図書館の計画・構想の変遷に注目し,背景にある都市の発展・変貌,都市問題の発生,行政需要や財政問題の増加等との関連を検討する。 1908年(明治41)に第1番目の東京市立図書館として日比谷図書館が誕生した。その後,5年程度の短期間に19館の市立図書館が次々に建設された。そして,組織改正を契機にこれらの図書館による図書館網が形成され,東京市立図書館は黄金期とよばれる時期を迎えることになる。 こうした発展の背後には,どのような計画・構想があったのだろうか。さらに,計画・構想はどのような東京市の発展やそれに伴う課題や政策に沿ったものだったのだろうか。当時の図書館報等の記事だけではなく,東京都公文書館等の公文書類等の一次資料類から,その要因を実証的に探る。日比谷図書館を中心とする東京市立図書館の発展,繁栄,衰退の要因を明らかにする。 | |
■発表3 | 原田正彦(山口近代建築研究会) |
「山口県立山口図書館建築史に関する研究」 | |
「山口県立山口図書館」は,1903年(明治36)の創建以来,これまで120年を超える歴史を歩んできた。その間,図書館は二度の移転を経ており,初代は山口市「中河原町」に,二代目は1928年(昭和3)同市「春日町」に,そして三代目となる現図書館は1973年(昭和48)同市「後河原町」に建設され現在に至っている。特筆すべきは,初代図書館書庫(大正7年建設),二代目県立山口図書館のいずれもが,現図書館から300〜450m内と比較的近接した場所に立地し,しかも現存している点である。 本研究では,この三代にわたる図書館建設の歴史的変遷を,各時代の社会的背景と照らし合わせて検証すると共に,明治から昭和にかけての山口県における教育・文化政策の変遷と図書館建築との関係性を明らかにすることを目的としている。 さらに,周辺地域における建築文化および図書館文化の向上を図るため,これらの図書館関連施設の歴史的,文化的価値と現状を踏まえた保存・活用の方策,及び地域に点在する歴史的建造物とのネットワーク形成の可能性についても考察を加える。 [内容] 1. 県立山口図書館建設の社会的背景と歴史的変遷過程の概要 2. 二代目図書館建築の特徴と空間構成 3. 三代目現図書館建築の特徴と空間構成 4. 周辺の歴史的建造物とのネットワーク「山口エリアリノベーション」構想について | |
■発表4 | 笠 学(大阪大学法学研究科資料室) |
「「京都帝国大学法科用図書取扱手続」(明治35年)の制定と法科大学における図書利用の整備について」 | |
1902年(明治35)頃,京都帝国大学法科大学は,購入した法科用の図書が未整理のまま堆積していた当時の状況に対処するため,その整理等に積極的に関与した。そのような整理は本来附属図書館の業務であるが,法科大学等が多くの外国図書を購入したことに対して,人員の不足する同館が十分に応じられなかったという事情があった。法科大学は「京都帝国大学法科用図書取扱手続」(以下,「取扱手続」という)の案を明治35年の評議会に提出したが,これは図書整理の遅滞するそのような状況を改善し,図書の望ましい利用環境を整えることが主な目的であったと考えられる。この案は,法科用図書の整理に法科大学が関与することや,同大学に分館を設けて研究用図書を保管・利用することなどを定めており,後者については,図書の取り扱いに関する附属図書館の諸規則に牴触する内容を含んでいた。「取扱手続」は評議会における協議・調整を経て,同会で可決された。本発表では,法科大学のこのような対応について,評議会議事録等を手掛かりに,整理と若干の検討を行いたい。
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■発表5 | 工藤邦彦(別府大学) |
「奄美日米文化会館(奄美JACC)の運営:奄美日本復帰時 1953年(昭和28) 〜 1972年(昭和47)」 | |
奄美日米文化会館(“日米文化センター”Japan America Cultural Center:JACCに所属。奄美JACC)は,米軍占領時の1951年(昭和26)3月,奄美大島名瀬に米軍政府の命によるInformation Centerとして沖縄米軍政府内民間情報教育部(CI&E)所管の下に設置された大島文化情報会館(奄美琉球米 / 琉米文化会館,奄美文化会館に改称)の後継施設である。 奄美JACCは,奄美日本復帰(1953年(昭和28)12月25日)後に鹿児島県と米国による『奄美日米文化センターに関する協定』(1954年(昭和29)5月11日締結)に基づき鹿児島県大島支庁総務課の所管となった。さらに1958年(昭和33)4月1日には,県教育委員会所管で鹿児島県立図書館奄美分館の設置に伴い,館内での併設となった。 本発表では,奄美JACCの運営について『奄美分館長室保管資料群』(鹿児島県立奄美図書館蔵)を用い,奄美日本復帰時を起点にUSIS-Japan(当時,米国大使館文化交換局:United States Information Service)による資料の無償貸与が停止した1972年(昭和47)までを考察する。具体的には,JACCとしての図書館活動やUSISフィルム等による映画上映会をはじめとする文化活動の実態を整理し,利用の様子や業務態勢を明らかにする。 |