■個人発表■ |
■発表1 | 杉本ゆか(駿河台大学) |
「英語ではなぜ『図書館』といえばlibraryでありbibliothecaではないのか」 |
本発表では,英語のlibraryとbibliothecaの語源を追いながら,なぜ現代英語で図書館を指す際にlibraryが主流であるのかを考察する。libraryは後期ラテン語libariaに起源をもち,古フランス語のlibrairieや中英語を経たもので,1430〜40年頃にlibraryが使われた形跡がある。一方,bibliothecaは,ギリシャ語からラテン語biblioth?caを経たもので,現代的にlibraryとして用いられるのは新しい用法である。関連する言葉にフランス語のbibliothequeがある。bibliothecaと同じ起源で,1500〜1600年代にbibliothek等と語形変化したもので,古フランス語にあったlibrairieは主流とならず,現代フランス語ではギリシャ語起源が用いられている。これは,ゲルマン語派の英語とロマンス語派のフランス語がもつ歴史の違いとも考えられるが,英語と同じゲルマン語派に属するドイツ語では図書館のことをBibliothekと綴り,ギリシャ語起源が用いられている。このことから,語派の括りではなく,各言語の背景にある文化的な歴史の違いによって,図書館を示す主流の語がラテン語由来か,ギリシャ語由来かに分かれたと考えられる。考察の際は,英国を中心とした図書館史も概観しつつ進める。
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■発表2 | 三浦太郎(明治大学) |
「有山ッの第一線図書館観の変化」 |
有山ッは,戦後,日本図書館協会事務局長(1949-66)として図書館理解に関わる議論を主導したことで知られる。その図書館制度構想において,当初中心的な役割を担ったのは,第一線の市町村立図書館の背後からその機能を調整・指導・援助する第二線の都道府県立図書館であり,この種の「中央図書館こそ・・・新しい図書館体系における中核」と位置づけられた(「図書館は生きている」<1950>)。その後,大衆から新しい教養が生み出される際の「産婆役」として,図書館の役割に対する意識が変化する中で,第一線図書館こそが中心視されるようになり,「極言すれば第二線図書館は間接的存在で,第一線への援助部隊」と認識が変化した(「地域社会における公共図書館の課題」<1957>)。さらに1962年の訪欧時に,全国的に小図書館が設置されるデンマークや,図書館未設置の空白地域を分館や自動車文庫でカバーするイギリスの事例を目の当たりにし,建物ではなく資料こそが図書館の第一の構成要素であるとする認識の深まりが見られた。こうした経験は,「中小レポート」序文(1963)や『市立図書館:その機能とあり方』(1965)に凝縮されることとなった。本発表では,拙稿「有山ッの図書館思想」(『図書館の社会的機能と役割』松籟社, 2021, p.91-125)ではあまり取り上げなかった有山の訪欧経験を具体的に整理しつつ,その第一線図書館観の深まりを考察したい。
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■発表3 | 山本和哉(青森県近代文学館) |
「青森市民図書館の歴史:商業施設との複合化の一例として」 |
1975年の開館以来,棟方志功記念館などの複数の文化施設を周囲に有する「文化ゾーン」と呼ばれる地域でサービスを続けていた青森市民図書館は,駅前再開発ビル「アウガ」の6階から9階を占める形で,2001年に移転開館した歴史を持つ。地下1階から4階までの商業スペースを持ち,市の中心部に都市機能を集約させるコンパクトシティ構想の柱としてオープンしたアウガだったが,2016年には事実上の経営破綻,2017年には商業テナントが全て撤退し,空いたテナントには市役所の一部を移転させることになった。このように,市民図書館は単独館として開館してから,商業施設との複合館として移転,さらには行政施設との複合館へと移行するという複雑な歴史を持つ図書館である。
今回の発表では市民図書館が移転に至るまでの背景を,青森県の文化的特徴や青森県の明治以降の図書館概史にも触れながら紹介する。また,移転によって生じた図書館にとっての利点や問題点を,図書館の立地や図書館設備の観点から考察する。90年代以降の日本の図書館の複合施設化の一事例として,図書館の文化・教育施設の在り方を,市民図書館の歴史を通して考えたい。
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■発表4 | 石黒志保(山形大学) |
「山形県における「追放図書」の実態」 |
1946年6月に発覚した,6万冊もの図書類が山形県下で「追放」された事件は,同年3月17日のSCAPIN-824「宣伝用出版物の没収に関する覚書」の発令前,GHQ本部の意図に反して行われたと見られている。なかでも,同年1月19日から21日の3日間,米沢地域で「追放」された図書は5万冊余りを数え,他地域と比べても突出していたことが,PPB(民間検閲支隊<CCD>内の新聞・映画・放送部門)でも報告されている。
本発表は,主として市立米沢図書館に残る「重要書類綴」や「図書館日誌」,また米沢軍政部との交渉役であった米沢警察署長の回顧録等から,「追放」の実態について明らかにすることを目的とする。1945年10月の人権指令により特別高等警察が廃止された後も,「特高」と称して書庫に入り,軍国主義色の強い図書を排除したことは,米沢図書館「図書館日誌」にも「大事件」と書き込まれ,戦前も見られなかった行為であった。さらに警察署員が検閲隊を組織し,米沢市内の学校や会社から軍国主義的色彩の図書,写真,絵画等の払拭を図り,また町内会隣組を通じて,家庭内からも自発的に排除するよう指示があったという(「米沢新聞」1946年1月25日)。PPB報告書によれば,山形地域でも約1万冊の図書が「追放」されたが,県内や全国の「追放」状況も考えつつ,戦前戦後の米沢地域の思想的背景も踏まえて検討したい。
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