日本図書館文化史研究会
2020年度研究集会・会員総会のご案内


今般のコロナ禍の影響を受け,本年度の研究集会・会員総会はオンラインでの開催となります。シンポジウムも見送り,個人発表2件と会員総会で構成しています。研究活動の制約を受ける状況のなか,会員の発表機会の確保と意見表明の場を設ける上で,現実的な措置を検討し,この形での実施となりました。もちろん,本研究会では初めての試みです。
どうぞ多くの会員の皆さまにご参加いただき,活発なご議論を期待したいと思います。

○日  程: 2020年9月19日(土)
○開催方法: オンライン開催(Zoom)
○参 加 費: 会員:無料  非会員:2,000円
○申込方法: 次の事項を明記のうえ,電子メールにてお送りください。
  • 氏名(ふりがな)
  • 所属
  • 会員,非会員の区分
  • 発表要綱の送り先(郵便番号,ご住所)
○申 込 先 : 電子メール:office「アットマーク」jalih.jp
*上記,「アットマーク」は@に変更してください。送信件名に「研究集会参加」とお書き願います。

○申込締切 : 9月11日(金)(必着)

★オンラインによる開催のお知らせ★
・開催前日までに,申込時のメールアドレス宛にZoomアクセス先「ミーティングID」をお送りします。
・また,申込締切後,発表要綱1部(非会員の方には振込用紙を同封)を発送します。



○プログラム

13:30-14:20  会員総会

14:30-15:30  個人発表1 「自治体史から検討する学校図書館史研究の可能性:
                              戦前期の神奈川県内の小学校を事例として」
               村岸純(八洲学園大学)

15:30-16:30  個人発表2 「台湾総督府時代の佐野友三郎補遺:秋間玖磨と笹岡民次郎のこと」
               小黒浩司(作新学院大学)

16:45-17:45  運営委員会



○ 個人発表要旨
■個人発表■
 ■発表1 村岸 純(八洲学園大学)
 「自治体史から検討する学校図書館史研究の可能性:戦前期の神奈川県内の小学校を事例として」
 近代図書館の思想が導入された明治・大正期や戦後の社会教育の変化期は,図書館史にとって重要な時期である。戦後,アメリカの教育思想の導入で学校図書館の設置・利用が進められたが,この前段階で学校図書館及び公共図書館の利用があったからこそ導入することができたのではないだろうか。教育制度としては変更されたが,戦前・戦後に分断するのではなく,戦前の公教育との関連で図書館史を捉えることはできないだろうか。本発表では,自治体史所収の明治・大正期の資料から学校に関わる図書館について,各図書館の実態を報告する。
 綾瀬市史(神奈川県綾瀬市)には,綾瀬小学校図書館の開設の過程及び利用実態がわかる資料が掲載されている。「綾瀬小学校図書館設置・運営状況」(『綾瀬市史』3 資料編 近代,p.564-571,1995)によると,学校図書館ができる前は,校友会を設立し,児童一人ひとりから毎月1銭ずつを集めてこのお金で新刊の書籍・雑誌を購入して交互に閲覧していた。ここからは学校教育に関する書籍の利用というよりは娯楽性の高い利用であったと推測される。校友会による書籍購入では,十分ではなかったようで,当時の鈴木寛村長が,青年読物の整備や児童だけではなく一般にも開放する必要性を認識し図書館の設立に意欲をみせた。アメリカに移民していた綾瀬村出身の平出倉之助に寄附を依頼し二百円の寄附を得て図書館の設置に至った。明治42(1909)年8月に綾瀬小学校の敷地に,新しく図書館ができ当時の神奈川県内でも学校図書館がつくられたのは珍しかったという。
 同資料には大正元年度の蔵書数・利用人数がわかる表や蔵書を12に分類した表が掲載されている。これらから当時の大まかな蔵書の分類の傾向がわかる。少年書類,実業書類,文学書類が多くを占めている。さらに蔵書数ごとの利用人数もわかり,第一部(少年書類),第二部(実業書類)は蔵書数も多く利用者も多い。第四部(文学書類)は蔵書数のわりに利用人数が多く,人気が高かったと推測できる。一方,第九部(英漢数書類)は蔵書数のわりに利用人数が少なく,需要としては少なかったようである。
 次に,綾瀬小学校図書館図書閲覧規定(「綾瀬小学校図書館設置・運営状況」)をみる。この資料は図書館の利用方法に関する規定である。利用可能なのは綾瀬小学校尋常三学年以上の児童と村内に居住する者であった。閲覧と貸出が可能で,1週間以内の貸出が基本だが延長も可能であった。
 本発表では,自治体史所収の資料から戦前期の学校図書館史を編むことの可能性について報告する。これ以外にも全国には自治体史には所収されていない学校資料があると思われる。昨今の学校の統廃合により学校資料が散逸される可能性があり,図書館史に限らず当時の学校教育の実態を把握するために学校資料の活用が期待される。今後の学校資料研究の可能性についても併せて報告する。



 ■発表2 小黒 浩司(作新学院大学)
 「台湾総督府時代の佐野友三郎補遺:秋間玖磨と笹岡民次郎のこと」 
 昨年発表者は,小川徹,奥泉和久両氏とともに『図書館と読書の原風景を求めて』(青弓社)を上梓した。同書校正の際,奥泉氏と発表者は小川氏執筆部分の引用文献確認のお手伝いをした。発表者が担当した一つに「学務部員戦死?ニ其屍体引取等ニ関スル報告」(伊能嘉矩編『台湾領有ニ関スル資料』所収)という文書の出典確認があった(p.116)。
 発表者は,伊能編書を見つけることはできなかったが,佐野の報告書の原文と推定されるものを台湾総督府文書(以下,総督府文書)で確認することができた。また一連の探索のなかで,東京図書館出身の秋間玖磨と笹岡民次郎が,一時期総督府に在職していたこと,とくに秋間が佐野の直属の部下として働いていたことを知った。本発表では,この二人の足跡を総督府文書などからたどる。
 秋間は1881(明治14)年7月東京図書館書記・出納掛となり,1891(明治24)年8月に同館司書に任ぜられた。しかし1896(明治29)年2月6日非職となり,翌7日に総督府雇員となって,民政局勤務を命ぜられた。
 1897(明治30)年11月,秋間は総督官房文書課勤務となった。同時に佐野は同課の課長となっており,秋間は佐野の下僚となって同じ課で仕事をするようになった。年齢からすると,佐野は1864(元治1)年生まれ,秋間は1857(安政4)年生まれなので,秋間が年長者であるが,佐野が上司である。なお佐野は総督府の幹部官僚となり,初期総督府行政に少なからぬ貢献をしているが,役職という点では,第3代乃木希典総督時代の官房文書課長が最上位である。
 官房文書課異動までの総督府では,秋間の東京図書館司書としての経験や技術がとくに役立つことはなかったと思われる。しかし同課の業務内容は,図書館の資料組織業務との類似性がある。もっとも秋間は1898(明治31)年5月9日「依願免本官(諭旨)」となり,総督府を去っており,彼の知識などが十分に活かされることはなかっただろう。
 秋間は免官からおよそ1年後の1899(明治32)年5月10日付で,京都帝国大学(以下,京都帝大)の書記となる。11月11日附属図書館勤務を命ぜられ,笹岡とともにその開館準備にあたる(12月11日閲覧業務開始)。 笹岡は1870(明治3)年生まれ。1889(明治22)年3月東京図書館雇となり,1894(明治27)年6月東京美術学校へ転務(庶務掛教場掛),1896年7月第二高等学校へ出向,9月書記となるが,同年10月30日依願免職となった。翌31日 総督府民生局雇となり,「衛生工事設計調査事務の為」総務部勤務を命ぜられた。しかし笹岡は1897年4月30日付で「御用済」により総督府を解雇となり,佐野や秋間との接点は確認できなかった。
 笹岡は同年7月14日京都帝大附属図書館に就職,開館直前に着任した秋間とともに,草創期の同館を支えた。また二人は,島文次郎同館館長と,1900(明治33)年1月,関西文庫協会の設立を発起した。



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