○日 程 | : | 2016年9月17日(土)・18日(日) |
○会 場 | : | 中京大学センタービル(0号館) 0803教室 (〒466-8666 愛知県名古屋市昭和区八事本町101-2) |
○交 通 | : | 【名古屋キャンパス】[アクセス]名古屋駅より地下鉄東山線・鶴舞線約25分,八事駅下車5番出口 |
○参 加 費 | : | 会員2,000円 非会員3,000円 |
○懇親会費 | : | 4,000円 *参加費・懇親会費は,参加当日,受付にてお支払ください。 |
○申込方法 | : | 次の事項を明記のうえ,電子メール,またはハガキにてお送りください。
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○申 込 先 | : | ・ハガキ:〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1 日本図書館文化史研究会事務局 ・電子メール:office「アットマーク」jalih.jp *上記,「アットマーク」は@に変更してください。送信件名に「研究集会参加」とお書き願います。 |
○申込締切 | : | 8月31日(水)(必着) |
○プログラム | ||||||
●9月17日(土)● |
12:45から | 受付開始 | (センタービル8階 0803教室) |
13:00-13:40 | 会員総会 | |
13:40-13:50 | 休 憩 | |
13:50-14:50 | 個人発表1 | 「国立図書館短期大学史:図書館学・文献情報学・図書館情報学への展開過程」 吉田右子(筑波大学) |
14:50-15:50 | 個人発表2 | 「“専門職を志向しつつある”大学図書館専門職員:岩猿敏生はなにを考えどう行動したか」 利根川樹美子(国際基督教大学図書館) |
15:50-16:00 | 休 憩 | |
16:00-17:00 | 個人発表3 | 「戦後の学校図書館司書教諭資格付与の実態と背景」 中村百合子(立教大学) |
17:20- | 懇親会 | (センタービル2階,イタリアントマト) |
●9月18日(日)● | ||||||
9:00-9:45 | 運営委員会 | (センタービル8階 08Aゼミ室) | ||||
9:45から | 受付開始 | (センタービル8階 0803教室) | ||||
10:00-11:00 | 個人発表4 | 「「美女と野獣」にみる読書観とその変容」 若松昭子(聖学院大学) | ||||
11:00-12:00 | 個人発表5 | 「コンラート・ゲスナーと16世紀ヨーロッパの図書館」 雪嶋宏一(早稲田大学) | ||||
12:00-13:30 | 昼食休憩 | |||||
13:30-16:40 | ★シンポジウム★ | 「幕末の公開文庫」 | ||||
13:30-15:00 基調講演 倉一紀(皇學館大学) 15:00-15:10 休憩 15:10-16:40 討議 パネリスト:伊藤善隆(立正大学) 鈴木光保(羽田野敬雄研究会代表) 倉一紀(皇學館大学) 司 会 中川 豊(中京大学) |
★シンポジウム★ 幕末の公開文庫 | |
倉一紀氏(皇學館大学)から幕末の公開文庫に関する基調講演をいただいたのち,東海圏にある3つの文庫 ―射和文庫(伊勢),羽田八幡宮文庫(羽田文庫,三河),雲橋社(飛騨)― にしぼって,設立の経緯,蔵書の蓄積(転写活動・あるいは寄贈者),組織化,保存,運営,提供(閲覧方法,貸出)刊本写本などについて,3名のパネリストの方々からお話を頂き,討論したいと考えております。 基調講演者(倉一紀)プロフィール 皇學館大学文学部教授。1982年,皇學館大学文学研究科博士課程修了。1983〜95年,天理大学附属天理図書館勤務,1995年から皇學館大学講師・助教授を経て,2003年から現職。著書に,『幕末の図書館:射和文庫に学ぶもの』皇學館大學出版部, 1998.,『近世書籍文化考:国学の人々とその著述』和泉書院, 2009. などがある。 |
■個人発表■ | |
■発表1 | 吉田右子(筑波大学) |
国立図書館短期大学史:図書館学・文献情報学・図書館情報学への展開過程 | |
本研究は日本初の図書館学の専門課程を持つ大学として設立された国立図書館短期大学の創設から閉学までを,歴史資料に基づき検証するものである。 研究方法としては,機関資料および文部省に提出された大学課程設置審査書類等の一次資料を収集し検討した。これらの文書の分析から図書館短期大学には,いくつかの際立つ特徴があったことが明らかになった。本発表では,(1)設立当初から4年生大学への昇格を射程に入れていたこと,(2)図書館科,図書館学科への名称変更,文献情報学科設立による改組,(3)図書館情報大学構想の具現化に焦点を当てて,図書館短期大学の目指した方向性を明らかにする。とりわけ1960年代から1970年代にかけて図書館学が図書館情報学へと変化していく過程のなかで,1971年に設置された文献情報学科の研究・教育の対象としたドキュメンテーションの位相を検討する。さらに図書館短期大学と図書館情報学の展開と重ね合わせることによって,日本の図書館情報学教育における図書館短期大学の位置付けを特定することを試みる。 | |
■発表2 | 利根川樹美子(国際基督教大学図書館) |
“専門職を志向しつつある”大学図書館専門職員:岩猿敏生はなにを考えどう行動したか | |
1972年,岩猿敏生は大学図書館専門職員を“専門職を志向しつつある”と捉えた。本発表では“専門職”を英語の“Profession”の訳語と定義する。この意味で当時もっとも専門職を志向し,専門職に近い働きをした大学図書館専門職員は岩猿自身であったと仮説を立てた。 本発表では大学図書館機能の十分な発揮のためには大学図書館専門職員の専門職化の推進が必要であるという立場を取る。ここでいう“専門職化”とは,グッドの“専門職化”(the direction of professionalism)の考え方を参考に,大学図書館専門職員が大学図書館の機能を十分に発揮させることを“専門職化が進んだ”と捉える基準にもとづいた尺度である。 大学図書館専門職員の専門職化を推進させるための課題の一つに,専門職化の進んだ大学図書館専門職員はどのように有効で効果的な働きをするかの立証が挙げられる。過去のもっとも専門職に近い大学図書館専門職員の働きを分析,評価することは,この課題の解明に貢献する。そこで本発表の目的を,大学図書館専門職員の専門職化の観点から岩猿の考え方と行動を分析,整理し,評価することに設定する。 研究方法は文献調査を用いる。調査期間は1955年から1993年までとする。大学図書館専門職員の論議に関する論稿を分析した結果,岩猿が取り組みのリーダーや主な論者の一人として活動したのがこの時期であったためである。この間の岩猿の主な活動は,(1)1955年から1964年までの国立学校設置法施行規則の改正の取り組み,(2)その直後の大学図書館の業務分析,(3)1970年から1975年までの全館種の図書館を対象とする“専門職としての司書職の確立”論議であった。 分析の結果,岩猿の考え方では,専門職と専門家の概念の明確化,大学図書館専門職員の情報提供・教育的職務の重視など多岐にわたる専門職化への貢献のあることが分かった。行動面では,複雑で制約のある歴史的状況のなかで,国立学校設置法施行規則の改正に取り組まれた結果として国立学校図書専門職員採用試験制度が成立した際に,重要な役割を果たしたことが分かった。以上をふまえて,大学図書館専門職員の専門職化の観点から,岩猿の考え方と行動について考察し,評価する。 | |
■発表3 | 中村百合子(立教大学) |
戦後の学校図書館司書教諭資格付与の実態と背景 | |
日本の司書教諭資格付与の歴史を概観する。55年体制下を資料に基づいて整理,概観することを中心とする。その前後,つまり学校図書館法制定と司書教諭の制度化と,1997年の学校図書館法の改正と翌1998年の学校図書館司書教諭講習規程の改正にも注目し,それらの制度化および制度改革がいかに行なわれ,55年体制下から現在に至るまでの司書教諭養成の実態につながっているかも検討する。 学校図書館法制定のころに望まれていたのは,同法に定められた学校図書館司書教諭の資格の付与が,司書教諭の養成と見なすことができるものであったと思われる。しかし,その後の現実としては,資格の付与は,“養成”つまりある仕事をするために求められる一定の技能を総合的に身につけさせるようなものとしての実体を持たず,単なる資格の付与に留まっていたのではないかという仮説を筆者はもっている。一方で,日本の学校図書館専門職の養成ないしは資格付与の制度が不十分であるとの指摘は繰り返しされてきているが,筆者は,過去の実体なき司書教諭養成に対する批判とは別に,資格付与制度の適切さについては議論できる,もしくはすべきではないかとも考えている。教育の質に関する議論にもつながるため,安易な結論を導くことは避けるが,これらの疑問を,55年体制の資格付与の実態,背景を整理して,提示したい。 | |
■発表4 | 若松昭子(聖学院大学) |
「美女と野獣」にみる読書観とその変容 | |
ディズニーのアニメ映画などで知られる「美女と野獣」の物語は,ボーモン夫人が創った同名の物語が原型となっている。ボーモン夫人が作家として活躍した18世紀ヨーロッパは,読書文化の大きな変革期であった。読書は一握りの特権階級のものではなくなり,子どもたち読者層を対象とする児童文学も隆盛した。ボーモン夫人が著した教育叢書『子どもの雑誌』のなかの数々の教訓的物語には,単純だが強力な読書啓発のメッセージが込められている。「美女と野獣」はその一例である。ボーモン夫人の作品は翻訳され,ヨーロッパ中に流布された。物語に描かれた読書の姿は,子どもに期待したい理想の読書像として当時の人々に受け入れられたものと推測できる。しかし,19世紀に入り新たな図像を伴って復刻や再版が重ねられてゆくなかで,原作に込められていたメッセージは次第に変容していった。この時期は,読書に対する考え方にも変化がおこり,子どもの読書も教育重視から娯楽重視へと移り変わっていく時代である。19世紀の様々な版のテキストや挿絵の変化を辿ると,「美女と野獣」が『子どもの雑誌』から切り離され独立の一話として出版流布される過程のなかで,ボーモン版に込められていた物語の教訓的要素は徐々に削られ,教育的な読書イメージも同様に消失してゆく様子が読み取れる。
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■発表5 | 雪嶋宏一(早稲田大学) |
コンラート・ゲスナーと16世紀ヨーロッパの図書館 | |
スイスの博物学者コンラート・ゲスナー(Gessner, Konrad, 1516-1565)は『万有書誌Bibliotheca Universalis』を発表するにいたるまでに様々な情報源に接して,書物の情報を収集していた。とりわけ,ヨーロッパ各地の図書館を訪問して,所蔵されていた写本・印刷本を閲覧していた。同時に,訪問できなかった図書館のギリシア語写本については蔵書目録を何らかの方法で入手して情報を得ていた。 本発表では,Bibliothecaと名付けられた一連の著作である『万有書誌』,『総覧Pandectarum』,『神学の分類Partitiones Theologiae』などから図書館に関する情報を可能な限り抽出して,ゲスナーがどこでどのような図書館を訪問したのか,そこでどのような情報を入手していたのか,またどのような蔵書目録を利用していたのかを明らかにする。 そして,ゲスナーが利用した図書館について図書館史の資料を参照しながら16世紀ヨーロッパの図書館は実際にはどのような実態であったのかを明らかにする。 さらに,ゲスナーがこれらの図書館を利用して,あるいは古来の図書館のエピソードを繙いて,どのような図書館観をもっていたのか。また,ゲスナーは著作になぜBibliothecaという言葉を採用したのか,そこにどのような意味を込めていたのかという点を考察して,16世紀ヨーロッパの図書館の役割について解明する。 |